ジャンプ
きょうの明け方は、ソチオリンピックのジャンプラージヒルだった。葛西選手の銀メダル、41歳の快挙に感動した。私は41歳のとき、いまと同じように酒ばかり飲んでいた。彼我のちがいに愕然とうなだれるばかりである。
スキージャンプというのは、不思議な競技だ。1970年代の初め頃、当時私が好きだったスポーツエッセイストの虫明亜呂無(むしあけあろむ)は、「ジャンプ選手は皆ハンサムだ」と書いていた。
札幌オリンピックで笠谷がヒーローになった頃だ。その理由は緊張感。時速90キロほどで急斜面の滑走路を滑り落ちていき、踏み切り台の先端で踏み切る。その最善の「ここだっ!」という位置は、極端にいうとスキー靴の長さ27センチくらい。時速90キロで、その地点を掴む。その緊張感が、彼らを引き締まったハンサムな顔にするのだろうと書いている。私はスポーツエッセイが好きでよく読むが、40年前に読んだ虫明のこの文章をよく覚えている。
私は北海道の豪雪地帯にある小さな町で生まれ育った。中学生時代、半年近い冬のあいだはスキーばかりに明け暮れた。それも、ジャンプばかり。回転は女の子の遊びだとおもっていた。急斜面にスコップでジャンプ台をつくり、ひたすら仲間たちと飛んだ。それは一種の肝試しであり、度胸を競う遊びだった。中学校裏山の急斜面に台をつくり、暗くなるまで飛びつづけた。といっても、その飛行距離は15メートルほど。我われのよくやったのは10メートルから15メートルあたりに3人ほどうつ伏せに寝かせ、その上を飛び越えるというものだった。たまにスキー板の後部が寝かせた友人の上に落ちることもあった。「ギャー」という呻き声に皆で笑い転げたものだ。たしかあの頃のジャンプの基本姿勢は両手を前方にさし出すもので、その後いまのように両手をうしろに伸ばすスタイルに変わった。
中学校の裏山では直滑降もよくやった。いまでいう大回転に近いかもしれない。木のあいだをひたすら突っ込んでいく。これも肝試し。仲間の一人は太い木に激突して大怪我をした。また他の友人は斜面の下にあった孵卵場の窓ガラスを突き破って跳び込み、大騒ぎの鶏の群れのなかで悶絶した。当時夢中になった遊びは、すべからく危険なものであり、危ないことほど面白かった。
いま考えると、その頃はフリースやゴアテックスなどの防寒着はなく、皆セーター姿だった。しかしリフトなどなかったので、滑り降りてはスロープをのぼり、また滑り降りるというものだった。吹雪のなかでも汗をかいていたような記憶がある。
葛西選手の素晴らしいジャンプを見ながら、半世紀前の日々を思い出した。
よくぞ今までご無事で。
刺激を求めて60年、まだまだ続く刺激生活…
お身体を大切に。
レジェンド葛西に敬意をこめて。
by さくら (2014-02-16 20:59)
僕の頃もセーターでした。
汗をかいて風邪をひかないように母が背中にタオルを入れてくれました。
汗をかいたらタオルを引き抜けば着替えたのと同じ効果になるのです。
コメントに必要なのは画像認証なのですね。
僕もちょっと苦手かも。
by いろり村村長 (2014-02-18 19:47)
時速90km/hの緊張感が、ひとをハンサムにする。
なるほど。
ぼくは緊張感のない毎日を過ごしているからか・・・。
鶏の群れのなかに飛び込む恐怖感は、ひとをどんな顔にするのだろう?
by TAGOSAKU (2014-02-18 22:10)