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レジェンド

今回のソチオリンピックでは、レジェンド葛西に日本中がしびれた。伝説とすれ違うということは、誰の人生にもある。しかし私の場合、そのなかでも大きなひとつは1971年、バンクーバーでのレッド・ツェッペリンかもしれない。

当時、カナダ西海岸の都市バンクーバーには世界中から数万人のヒッピーが集まっていた。ベトナム戦争の末期であり、反戦と反権力の基地となっていた。そしてたまたま、私はそのまっただ中にいた。廃校となった体育館に100台以上のパイプベッドが置かれたヒッピー収容所に寝泊まりしていた。2食付いて宿泊料は無料。長髪の若者であふれ返っていた。そういう施設が市内に何か所もあった。とにかく、街じゅうが革命前夜のような熱気につつまれていた。

その年の秋である。レッド・ツェッペリンのコンサートがバンクーバー郊外のスタジアムで行われることになった。2枚目のアルバムが出たばかりであり、当時はビートルズをしのぐ勢いだった。私は仲間たちとその会場にヒッチハイクで向かった。しかし、誰もその切符をもっていない。「突破しよう!」というのである。会場への道すじはそういう連中であふれかえっていた。現場に着くと、切符をもっていない長髪のヒッピー達が数1000人も会場に入れろと騒いでいる。ほとんど暴動状態である。あまりに凄いことになっているので、入り口は数10人のガードマンで固められている。他の数か所の入り口は閉じられ、街の酒場から急遽呼ばれた大柄な用心棒達がガードしている。プロレスラーのような体、Tシャツからのぞく太い腕にはタトゥー。我われは彼らとやりあった。そして、そのうち会場の中から「ズドン! ズドン! ズズン!」というジョン・ボーナムの地響きのようなドラムスが聴こえてきた。そのとたん、我われはドアに突進した。あまりの騒ぎに、会場内にいたガードマンが外の様子を見ようとドアを数センチ開けた。そこに何人かが手を突っ込んだ。あとはもうダム決壊。ドアは引き開けられ、我われは会場になだれ込んだ。そしてステージ前の最上席は、すべて数100人の切符なしのヒッピーによって占拠された。

目の前のステージの上では、ロバート・プラントが空気を切り裂くようなカン高い声で「天国への階段」を絶唱している。よれよれのTシャツに金髪ちりちりの長髪。ジミー・ペイジが吸いかけの煙草をギターヘッドに刺して体をゆらしている。ジョン・ボーナムのドラムスはあくまで野太い。なぜか、ステージにキャベツやニンジンを投げるヤツがいる。そこいらじゅうからマリファナが回ってくる。ほとんど暴動だ、革命だ。

あのとき、私は21歳。Led Zeppelin(鉛の飛行船)。青春の断片。


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コメント 1

KEVIN

ロックってそういうもんですよね。
レッドツェッペリンの映画を作った際には是非再現して欲しい場面ですねえ。
by KEVIN (2014-02-19 12:30) 

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