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生還

3カ月ぶりに戻ってきました。どこからと訊かれても困るのですが、精神病院からです。そこのアルコール専門科。つまり、アル中の収容施設です。三浦半島の先端あたりにあり、前は海、後ろは山のすこし孤立した場所にあります。日本でいちばん古いアル中専門の国立病院だそうです。そこでの色々をお話ししたいのですが、なにしろ3か月間ですからね。長かったですよ。「カッコーの巣の上で」の詳細をあれこれをご報告したいのですが、それも大変です。なにしろそこには200人ほどのアル中が収容されていて、日々、無為な日々をおくっております。
そこで、その施設を退院する前に行われる「私の酒歴」という発表会があります。同じ病棟の50人ほどの仲間を前に、食堂で独白をするわけです。私もそれをやらされました。とりあえず、それをここに引用させていただきます。それが、早いでしょう。あとは、思いつくままにぽとぽとと。
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     「私の酒歴」
酒を飲みはじめたのは16歳、高校2年のときでした。そのころ私は山岳部に入っており、3、4歳上のOBと山に登ることが多かった。
ある日、テントのまわりで先輩たちと酒盛りになりました。初めて飲む日本酒だが、私はぐいぐいと1升ほどをいただき、「ウマイ!」と思った。そこからは、ただひたすらアルコールの海を海を泳ぎつづけましたが、いくら飲んでも「ウマイ!」といういう気持ちは変わらなかったです。
高校を卒業し、1971年から1973年、21歳から23歳。私はヒッピーとなって世界を巡り、さまざまな酒を飲みました。メキシコのテキーラ、スペインのワイン、ポルトガルのブランディ、どれも日本円にして1瓶100円程度だったと思います。当時、円のレートは1ドル360円です。飛行機での海外渡航は高すぎた。そこで私は、横浜港から「あるぜんちな丸」という南米移民船に乗り、アメリカのロスアンゼルスに渡りました。当時はヒッピーブームであり、街には長髪の若者があふれていました。私もリュックひとつを背負ってアメリカ、カナダ、メキシコ、ヨーロッパ、北アフリカを歩きました。いまのバックパッカーとちがうのは、現地で肉体労働をして、その稼いだ金で次の目的地へと向かうことでした。私も線路工夫や鮭を獲る漁師などの仕事をやりながら息ををつなぎました。
2年後、ポルトガルのリスボンで日本に行くノルウェーの貨物船に雇ってもらい、パナマ運河を通って横浜に帰港した。
それから5年ほど、フリーターのような生活をしているうちに、ひょんなことからコピーライターという広告の文章を書く仕事につきました。フリーランスで、新聞、ポスター、テレビのCMをつくりました。たまたま向いていたのでしょう。仕事は順調にすすみました。海外ロケの撮影も多く、世界中の酒場を飲み歩きながら、その土地のホラ噺をひろった。たあいないものですが、たとえば、こんなものです。
ロシアの小噺
息子が父親にきいた。「父ちゃん、酔っぱらうってどういうこと?」「息子よ、よく聞け。ここにウオッカの入ったグラスが2つあるだろう。これが4つに見えたら酔っぱらったということだ」「父ちゃん、ここにグラスは1個しかないよ」
イギリスのパブでの小噺
男A「この世に、ビールは2種類しかないんだ。ひとつはグッドビア。もうひとつは何だと思う?」
男B「バッドビアだろ」
男A「残念!ベタービアだ!」
東京でも夜ごと、新宿、赤坂、銀座とあっちへふらふら、こっちへふらふらと飲み歩きました。それは煙草の煙と一緒にすべて闇に消える日々だったが、意外と胸の底にじんわりと残る景色もありました。ともあれ、どちらかというと、たのしい酒が多かったです。
しかし、そんな日々もリーマンショックあたりから仕事がとだえ、徐々にたそがれはじめました。私の仕事はフリーランスで、ひとりで文章を書くものですから、どうしてもグラスを片手のものとなります。私は飲んでも仕事ができます。飲んだ方が調子がでる。それが10年ほど前に焼酎を飲むようになった。ビール、日本酒、ワイン、ウイスキーと浴びるように飲んできましたが、焼酎だけはウマイと思わなかった。それが友人のKがすすめてくれた二階堂という大分の麦焼酎を飲んでウマイと思った。クセがないのに、味がある。朝からすいすい飲める。と、ここでアル中の皆さまにこの焼酎をオススメすることではないのですが、私はこれにハマった。週に、3升くらい飲むようになった。朝から晩まで、1日中。けっきょく、食事をとらなくなり、痩せていった。なにしろ、この病院にはいったときは体重40キロ。杖をつき、紙オムツをしてふらふらの状態でした。
私は昨年、70歳になりましたが、この5年ほどで、ガクンと体力が落ちました。目はかすむ、耳は遠くなる、足はふらふら、家でも外でもよく転ぶ。かんたんに骨折もする。そして頻尿、尿漏れ、脱糞。酔える屍です。
私は16歳のときから酒を飲みはじめて、かれこれ55年になります。それがここに入院して3か月近くになりますが、この間、1滴も酒を飲んでいません。これは私の酒歴で初めてのことです。パンダが笹を食べるのをやめるようなものですね。しかし55年間飲みつづけ、いきなり3か月近い酒断ちでしたが、禁断症状というものが一切ありません。不思議です。アルコール依存症ではなく、たんなる酒好きのジジイだったのかと思うほどです。一人ひとりがちがうのですね。
人間は誰しも何かに依存しているものです。ギャンブル、テレビ、仕事、釣り、囲碁、将棋。なにかに依存するというのは、人間の本能に近いものなのです。
だから私は、断酒というかなり硬直した姿勢にいささかの疑問を感じるのです。10年断酒しても、1杯飲んだら元のもくあみ、ふりだしに戻るそうです。
「断酒は富士山に登る難しさ、節酒はエベレストに登る難しさ」という言葉をこの病院で知りました。つまり、節酒よりも断酒のほうがカンタンだから断酒をしなさいというのが当病院のモットーらしいです。しかし私の場合は、まなじり決してというのが性格的にあっていないので、高尾山にちんたら登るかんじ、ほろ酔い気分でいこうと思っております。
ご静聴ありがとうございました。


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