都知事選と松下政経塾
きょう、4月の都知事選に石原慎太郎が出馬しないようだというニュースが流れた。そのかわりに、現神奈川県知事の松沢成文という人物が立候補するそうだ。
となると、あの機をみるに敏だけの前宮崎県知事Hが、勝算ありと出馬表明することであろう。困ったものだ。
ここはH都知事の実現を阻止するだけのためにも、松沢氏に当選してもらいたいとおもった。
ところがである。この松沢という男は、松下政経塾の卒業生だというではないか。これは、ダメだ。Hと似たり寄ったりだ。
松下政経塾というのは、ご存じのように、パナソニックの創設者松下幸之助が私財70億を投じて、1979年に「日本の指導者育成」のためにつくった組織である。
吉田松陰の松下村塾を標榜したのであろうか。しかし私からみると、ヒトラーユーゲントに近い考え方のもとに生まれたとしかおもえない。つまり、国のために、努力して、ひとの上に立つ人間になりなさいという思想。とにかく勝って、ひとより偉いひとになりなさい、という上昇志向を助長するためだけにある塾である。
松下幸之助というひとは、もともと極貧からのし上がって大成功した。だから、上昇志向こそ第一という貧乏臭い人間なのである。
そもそもである。ひとより成功するということは、ひとを蹴落とすということである。勝者になるということは、敗者を生むということであり、儲けるということは、損する人間をつくるということである。社会の中の、椅子とりゲームなのである。誰かが得意になったとき、そこに悲嘆する者が生まれるのである。人間という生き物の動く世界だから、勝つこと自体は悪いことではないが、そこにいくばくかの忸怩たるおもいを抱くべきなのである。
松下政経塾というところは、そういうことを考えることのできない、上昇志向の塊のような人間を育てるところなのである。そういうところに入塾することに疑いをもたない、そしてそこから政界に入るということを恥じない者たちの集まりなのである。
ところが、こういうところに憧れる連中が世の中にはあふれているようで、入塾の倍率は200倍といわれている。いやはや。だいたい、人間はエライひとになろうとして、ワルイひとになる。
民主党でいうと、前原、原口、玄葉、樽床などが松下政経塾の卒業生である。彼らに共通しているのは、ディベートの巧みさである。たぶん、アメリカ式の相手を言い負かす特訓を塾で受けたのであろう。そのアメリカ式ディベートというのは、正しいか間違っているかはどうでもよく、勝ちか負けかだけである。真の答えは、二の次なのである。
民主党の崩壊は、そのあたりの根源的な過ちを自覚することのできない、松下政経塾的空疎さに要因があるのではないだろうか。
ま、この国で政治家を志すという時点で、すでに人間として恥を知らないということである。そういう意味では、どの党の政治家も同じだろうが。
もうこうなったら、綾小路きみまろとかマギー司郎とか蛭子能収みたいな、へんな欲のない清廉なひとに都知事になってもらいたい。そのときは、勝手連をつくって一生懸命応援します。
これを読んで、むかし友人のパーティーに来ていた議員の秘書というダサイ男のことを思い出しました。そいつは会う人会う人に、自分は◯◯議員の秘書だと吹聴していました。後ろから蹴っ飛ばしてやりたいと思いましたが、声をかけた女性からことごとく無視され続けていたので、わざわざ私が蹴飛ばさずとも彼は撃沈していたのでした。
by KEVIN (2011-03-03 10:41)